ちーやん夜話集 19.智 仁 勇

智 仁 勇

 私は、9月20日、高山医院を退院した。実は、8月30日、右眼に眼底出血をし、おどろいて9月6日入院したのであった。これは、高山先生独特の手術を受けるためだった。私は8年前那須にいる時、左眼の眼底出血をし、その結果、現在全然光を通さない盲目となっているので、今また右眼を失明するならば、視覚の全部を失うかも知れないという、あんたんたる恐怖におそわれたのであった。そこで、心ひそかに再びスカウトユニフォームを着ることが出来ない、いわゆる『再起不能』という覚悟をしていたのだ。

 私が退院する日高山先生の東京第155団は、年少隊の審査が行われ、ひき続き前に出来ている少年隊と年少隊との顔合わせ会を兼ねて、団番号の伝達式が高山医院の近くのお寺で行われる――ということであった。
 その日の朝、高山先生のお陰で失明をまぬがれた私が、宅からスカウト服をとり寄せてそれを身につけ先生の手をかたく握って感謝のごあいさつをした。そして、差し支えなければ、今日のスカウト集会に出て、スカウト諸君にお祝いを申し上げたいのだが、と云った。団委員長である高山先生、ならびに少年隊長であるご子息の雅臣さんも喜んでご承諾して下さったので、私は出席することが出来た。もっとも年少隊の審査の方は、東京都連山手地区の公務であるので、私人として出席した私は、ご遠慮して列席しなかった。
 後半の伝達式のあとの来賓のあいさつの時、近所に住まわれる有名な茶人(お名前は知らない)が、大変立派な激励の辞を述べられた。その要旨は――私は、本日初めてスカウトを見るのでスカウトのことは何も知らない。けれども、諸君の動きを見て、仲々智力のある子供だと思い、また世の人々のために尽くす精神らしいので、これは仁をあらわし、そして皆さんりりしい姿で、勇を感じた。すなわち、ボーイスカウトは、智、仁、勇という3つの徳を磨くものだと思う。これは元来支那の教えである。私の茶号が三徳庵といいますのもこれによる。ボーイスカウトは支那から入ったものではなかろうが、これとまったく同じもののように思う。――という一節があった。
 この84才の老茶人は、後から聞くと、お茶だけではなしに、あらゆる芸能に通じ、天皇のご前で手品をしたこともあるそうである。私が、高山先生とスカウト諸君に、後で中華民国のスカウトは、標語として『智、仁、勇』を用いているというお話をした。すると高山先生は、「達人の眼に狂いはないですね…。」と云われた。

 私は、それが終わると、制服を着たまま退院するため、迎えに来た家人と、一路車で帰宅したのであったが、この9月20日という日は、私の人生における第何回目かのスタートである。

(昭和34年10月1日 口述と代筆による)


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