私見:ちかいの意義
英国ではプロミス、米国ではプロミスまたはオース(Oath)という。プロミスは「やくそく」であり、オースは「ちかい」と訳すべきだろう。
日本では「ちかい」と名づける。曲解を試みるならば、「やくそく」では弱くて、これを破るおそれがあるから「ちかい」という少々固い名称にしたのかもしれない。カブの方は逆に「ちかい」では固苦しいというので、「やくそく」の方をとったというようにきいている。
「ちかい」は正しくは「ちかひ」と書くべきだろう。「ひ」とは「霊」(たましい――本当は、たましひ――)を意味する日本の古語である。「たましひ」「霊」にちかうので「ちかひ」という。これは「日本書紀」あたりによく出てくる「うけひ」という古語に関係がある言葉で、共に「ひ」に向かってベストをつくす人間の決意をいみしている。
こんなことをいうと、一層固苦しくなるかもしれないが、日本人の心理には「天地神明に誓う」とか、「天神地祇を祀って誓う」とか唱えて「神」「仏」に所信をちかうことが昔からある。そこでスカウトのちかいは、一体、誰に対してちかうのか? という大きな疑問にぶつかることになる。
昔の武士は神仏に誓った。それは人間同士は所詮、順逆常ならず、信用できない、ということ、また人間には栄枯、盛衰、生老病死があってたよりないので「絶対」のもの、即ち「神仏」や「天地神明」にちかったと考えられる。
明治以来の兵隊は、「大元帥」即ち軍服を着た「天皇」にちかった。それは、軍人としての天皇は兵馬の権、即ち「統帥権」をもっており、皇軍の首長であったからである。「軍旗」は大元帥の身代わりのハタだとされた。
スカウトは、武士や兵隊とはちがった人間である。だから神仏にちかったり、隊旗(これは軍旗とは全然性格がちがう)に誓ったりするのは、第一義的でない。
スカウトは、それなら「何に」「誰に」ちかうべきなのか?
私は、何よりもまず「自分」にちかうべきだと思う。「ひと」をあざむくことはできても、自分をあざむくことはできない。もし、平気で自分をいつわるような、そんな芸当が出来るならば、私は彼を「スカウト」と思いたくない。理由は? 簡単。彼は「名誉」をもたないからである。
「名誉」についての私見は、前に述べた。
「自分に敗ける」ことはあっても「自分をあざむく」ことがあってはならぬ。(“自分に克つ”の稿参照)平気で自分をあざむく者は、ヒトも平気であざむく。そうなると誰も、彼を信頼しない。だからスカウトではもうなくなっている。
自分が自分にちかう――これにまさる自発活動があるだろうか!
「この三ヶ条の「ちかい」は、ベーデン・パウエルが作った――いや、これは日本連盟がきめた――そういうふうに、ちかわないとスカウトになれないから、ぼくは、ちかうのです…。」
私は、こういう考え方をケイベツしたい。この考え方には、一つも「自分が主人公になった態度」がない。自発的なものがない。ドレイ的であり、被害者的であり、盲従的であり、封建的であるから――。
自分から進んで、B-Pに共鳴しスカウト仲間にとびこんだ、という精神がひとつもない。そんな他律的な者にスカウティングは生まれて来ない。
これはスカウト仲間への「仲間入り」の約束の言葉でもあるから、第二義的には――スカウト仲間に対してちかうのである。または隊長だとか、隊旗に対してちかう――ということも、まちがいではないが、第一義的には、「自分が自分にちかう」。昨日まではスカウトでなかった自分が、本日、只今、この言葉とともにスカウトになるのだ――というモチベーション(動機づけ)を意味する。仏教で、俗人から僧になるときに「得度」(とくど)の式をするが、私はそれに似たものを感じる。またはキリスト教の洗礼――いいかえれば、一生の一転機である。
カブの場合は、仲間にやくそくを結び、その制約が自分にもどってきて、自分を律する、という反射的効果をとり、スカウトの場合は、自分の在り方をさきにして自ら律し、そのはたらき(機能)を仲間(ヒト)におよぼすという、積極性をとる――年令、知能、体力、精神力の発達にマッチしたやり方になっていると私は考える。
(昭和35年2月6日 記)
ちーやん夜話集 索引
- ちーやん夜話集 01.私とスカウティング
- ちーやん夜話集 02.盟友中村知の後世にのこしたものは
- ちーやん夜話集 03.スカウト象にさわる
- ちーやん夜話集 04.スカウティングと社会性
- ちーやん夜話集 05.偉大なる自発活動
- ちーやん夜話集 06.スカウティングのXとY
- ちーやん夜話集 07.ローバーリングは電源である
- ちーやん夜話集 08.隊長がエライか? 地区委員がエライか?
- ちーやん夜話集 09.初夏随想・指導者のタイプ
- ちーやん夜話集 10.忘れられない話(その1)
- ちーやん夜話集 11.忘れられない話(その2)
- ちーやん夜話集 12.奉仕とは
- ちーやん夜話集 13.標語について
- ちーやん夜話集 14.何を備えるか
- ちーやん夜話集 15.新しい時代に生きるスカウト教育
- ちーやん夜話集 16.自発活動(その1)人に対する忠節をつくすのか?
- ちーやん夜話集 17.自発活動(その2)日本人に欠けているもの
- ちーやん夜話集 18.継続と成功
- ちーやん夜話集 19.智 仁 勇
- ちーやん夜話集 21.私見:ちかいの組立(1)
- ちーやん夜話集 22.私見:ちかいの組立(2)
- ちーやん夜話集 23.名誉とは
- ちーやん夜話集 24.名誉について
- ちーやん夜話集 25.“ちかい”のリファームについて
- ちーやん夜話集 26.幸福の道について
- ちーやん夜話集 27.スカウトの精神訓練
- ちーやん夜話集 28.B-Pはおきて第4をこのように実行した
- ちーやん夜話集 29.新春自戒 ジャンボリー
- ちーやん夜話集 30.自分に敗けない
- ちーやん夜話集 31.少年がBSから逃げていないか
- ちーやん夜話集 32.強制ということについて
- ちーやん夜話集 33.自分のプログラムというものをよく考えよう
- ちーやん夜話集 34.スカウト百までゲーム忘れぬ
- ちーやん夜話集 35.冬のスカウティングとプログラム
- ちーやん夜話集 36.B-P祭にあたって
- ちーやん夜話集 37.スカウトソングについて
- ちーやん夜話集 38.1956年の意義ジャンボリー
- ちーやん夜話集 39.バッジシステムの魅力
- ちーやん夜話集 40.技能章について
- ちーやん夜話集 41.技能章におもう
- ちーやん夜話集 42.自発活動ということ
- ちーやん夜話集 43.自己研修とチームワーク
- ちーやん夜話集 44.班活動について
- ちーやん夜話集 45.班活動の吟味
- ちーやん夜話集 46.ハイキングとパトローリングと班
- ちーやん夜話集 47.隊訓練の性格について
- ちーやん夜話集 48.班別制度の盲点を突く
- ちーやん夜話集 49.コミッショナーの質問
- ちーやん夜話集 50.グンティウカスを戒める文
- ちーやん夜話集 51.指導者とは
- ちーやん夜話集 52.ボエンの意義
- ちーやん夜話集 53.真夏の夜の夢
- ちーやん夜話集 54.万年隊長論
- ちーやん夜話集 55.万年隊長のことについて
- ちーやん夜話集 56.指導者のタイプについて
- ちーやん夜話集 57.ユーモアの功徳
- ちーやん夜話集 58.跳び越えるべきもの
- ちーやん夜話集 59.よく考えてみよう
- ちーやん夜話集 60.私の眼をみはらせた5名
- ちーやん夜話集 61.スカウトと宗教
- ちーやん夜話集 62.スカウティングと宗教
- ちーやん夜話集 63.神仏の問題
- ちーやん夜話集 64.GIVE AND TAKEということについて
- ちーやん夜話集 65.信義について
- ちーやん夜話集 66.昭和27年の念頭に考える 世相とスカウティング
- ちーやん夜話集 67.道徳教育愚見
- ちーやん夜話集 68.「勝」と「克」(1)
- ちーやん夜話集 69.「勝」と「克」(2)
- ちーやん夜話集 70-0.あ と が き
- ちーやん夜話集 70-1. 中村先生ついに逝く 「はんなん17号」
- ちーやん夜話集 70-2.番外編 第1回 ingとは積み重ね
- ちーやん夜話集 70-3.主治医としての思い出 「はんなん17号」
- ちーやん夜話集 70-4. スカウティングに就いての一考察