強制ということについて
親愛なるT君、お手紙ありがとう。お元気で何よりです。お手紙の中で、“スカウティングに強制ということ”が問題になっていることを知りました。果たして、強制ということがあり得るものかどうか、お質問があったので、この誌上をかりて私見を申しのべることにいたしました。
ある隊員が、隊長のいうことをきかない、とか、みんなと協調してゆかない。とか、班生活をみだすとか、集会に出て来ないとか、横暴であるかということは、スカウトが、もともとやはり人間である以上あり得ることです。これをなおすため、隊長が見せしめのため全員の面前で叱りつける、或いはある種の制裁? を加える――という意味から、「指導者に強制力ありや」という問が出たようですね。ほかの言葉で云えば「教権」ありや――ということになります。教権ということは、既に、教育界でも論争があったことで、「有る」という人と「有りはするが濫用してはならぬ」といった人々があって、「無い」と断定した人はなかったようでした。もっとも、これは十何年昔のことで、現在はどういうか知りません。そんなことは、ここではどうでもよろしい。私はいわゆる「反抗」ということを、もっと検討して見たいと思う。「反抗」の本意がわかれば、それに対応する教育指導は考えられると思う。この研究なくして指導法のみを論じたのでは、変なものになりはしないか?
ある意味で私も一人前以上の反抗児であったので、「反抗」という文字には魅力をもちます。それで、ますますこの研究に興味をもちました。私は次のように「反抗」の種々相を分析してみました。
A.少年自身から発する反抗
これは、他の力への反発ではなく、その少年自体に原因があり、他人の力をかりずに、独力で反抗するものです。これには次のケースがあるようです。
a. 自分でもわからないが、本能的に潜在的に、したくなる反抗、ちょうど空気を呼吸するのと同じように、
むらむら、自然に起きて来る。
b 自分の存在を示したい本能から、非凡なことをして、人の注目をひこうという、英雄的心理から来る反抗、
やや無軌道ぶり、前後の見さかいがなくなる――これはスカウト年令の者には、量の多少こそあれ共通にも
っている。
アプレゲールも、この部に属し、不良少年の出発点にも多い。
c ふとした思いつきから、反対のことを、やって見るという反抗、別に他意もなければ、悪意もない。一種の
レクリエーションみたい。これは少年心理的に一種のバランスになることもある。動あれば静あり、静あれ
ば動あり、といったような振子の作用のような、プロペラの回転のような、一つの前進運動か?
d 善いことは、すべて偽善である――ときめて「オレは逆コースを行く」という反抗。これはニヒル性反抗と
診断しておこう。シニアースカウト年令にちょっと出る奴。
e 実際は外部(他)から誘発されたのでないのに、自分でそうきめて人を恨み、意趣返しの心理から起こる反
抗。
人から笑われた、馬鹿にされた、圧迫された、人権を犯された。――と自分できめ自分を卑下し、自分を嘲
笑した末に、そのハケグチとして爆発する――時に暴力を伴う。――妄想的反抗、自家中毒症、被害妄想型。
そのハケグチたるや、どこにどういつ出るのか本人にもわからない。まアこれはヒステリー的反抗である。
f 平和になるとシャクにさわる、平和を破って見たい本能から出る反抗、いわゆる事件屋的人物によくある、
変態的な嗜好です。悪い道楽、イヤガラセなどする。「人生は斗争なり」という赤い哲学を生む。
g 勝利観念の異常に発達した少年によくある。敗ければアテツケイジワルという反抗を発し、勝てばゴウマン、
傍若無人という反抗を表現する――これが勝ちつづけるとボスになる奴。
h 至って素直でない、ツムジ曲がりの児の場合で、イイワケしたり、クチゴタエしたり、モンクをつけたりす
る軽反抗であるが、少々ウルサイ奴、ヒチクドイ奴。
i 改善欲の盛んな少年にある現状打破、革新派、何に限らず現状では飽きたらぬ奴。これも反抗の一種、極め
てよい場合も一面にあるが、朝令暮改でもある。
j 支配欲旺盛でなんでもリードしなければ治まらぬ、それには何かの立場を作らねばならないので、曲がって
いても頑張るという勝気な子供に出る反抗の一種――これもボス型。
k 非妥協性の少年。他人と協調出来ない我がままから出る反抗。いつも番外扱いされる。自分もそれをよく承
知しているのに協調しようとしない。
l 反抗のためにする反抗、アマノジャクである。反対反対へといつも出る。アーユートコーユー奴。これは多
少誰にもありそうだ。愛嬌になることもある。
m 忠言癖から来るもの。一言居士的の反抗大久保彦左衛門流。
以上列挙して見ると、反抗にもいろいろある。先天的の性格から来るもの、自己防衛本能から来るもの、競争本能、支配本能から来るもの等々、というものが、隊長の意志と正面衝突する。衝突した瞬間、一々これを分析する余裕がないから、「隊長」は、「教権」に挑戦したな!…とばかり立腹してどなりつける。「親」にも「先生」にもこれはある。
ところがその大部分は、潜在している本能から出発していること上述のとおりである。このことは、反抗している少年ご本人にも、その自覚がない。そこで叱られている本旨が一向にこたえんものだから、叱る方はますます激怒する。――一体この取引は有効なりや? 恐らく無駄弾丸(ダマ)に終わるだろう。怒るだけ損ということ。
一体教育とは何であろうか?(ひらき直るようだが)それは、第一に本能の浄化(或いは昇華)にあるのではないだろうか。持って生まれた本能をよい方向にむける。本能をそのままに放任しておけば、人間は犬猫と何らちがわぬ動物になりさがる。その上、各人各様の性格をもち、誕生以来育って来た環境が、それぞれ皆異なるのであるから、教育は一筋縄には行かぬ。ワクにはめる「強制」というものは考えられない。
もう一歩考えを深めるならば、成人指導者の側から名づければ、それは「反抗」と名づけられるだろうが、子供の側からいえば、それは反抗ではない。ではそれは何か? 私は子供のために、あえて弁護してあげよう。(子供は表現力が一人前ではないからね。)よく聞いて下さいよ。隊長さん達。どこの国の子供でも、どんな子供でも「僕はこれだけ成長したよ」といって、親にも兄さんにも、先生にも、隊長にも「見てもらいたい」のです。「認めて貰いたい」のです。身長が何センチ延び体重が何キロになった――というように、心の成長をも認めてほしいのです。ですが、それをどう表現したら認めて貰えるのか? 子供の乏しい表現力では大人に通じない。ここで世界で最大の悲劇が生まれているのです。どう表現すれば認めて貰えるか? いろいろ試しているうちに、成長なんていう重大なことをとかく見のがしがちの大人どもは、生意気云うな! とすぐ云いたがる。この発信者と受信者との未熟練から、意思が疎通せず、子供は業(ゴオ)を煮やし、大人は短気になり、「反抗」は成作されるのです。ですから、反抗――とは、大人と子供合作の演出劇ですね。
考えてごらんなさい。万有引力が働いて、雨も天から地に向かって降る世の中に、なぜ草や木は逆に地上から上に伸びるのでしょうか。
私は成長とは反抗だと思います。反抗なくて何で草木が伸びうるでしょう。ですが、大宇宙の心は大きすぎます。この反抗をだまっています。
草木はその大きな心に甘えているからです。私は反抗とは甘え得る者のみがなし得る特権だとね…。」
これは私が青年時代に書いた下手な脚本の中の一対話です。
要するに、以上のAに属する反抗は、各人各様のもので、その起因もいろいろのケースがある。彼は「成長権」を叫んでいるのに、我は「教権」で渡り合い、「強制」せんとするようなことは、およそ悲劇(喜劇?)の骨頂であって、いわゆる「反抗」をして本物の「反抗」に育てあげる結果となり、世に流行の逆コースとなりはしませんか。どうもリーダーのサインのつけそこないのように思います。
次にBの分類――ほか(外部)からの原因によって起こる反抗、これにまず(a)(b)ありとする。
a 暗示にかかり易く煽動されて反抗派の代表となって反抗する。
b 自分には反抗の意志はないが、皆から推され、或いは義侠的に買って出て反抗する。
二つとも学校ストライキによくある型です。前の英雄型も多少含んでいる。これは要するに自己の意志の弱いことが主因です。すなわち自己本来のペースがない。いつも他人に引きづられる。大変危険人物です。これには、もっと「自己」を知らせる教育が必要です。それには彼の「特技」を発見させ、これを伸ばさせて、その特技を通じて「分担」と「責任」とを体得させ、それによって「自己」というものを知らせ、自己の在り方を知らせることが大切でしょう。「分担」から「全体」がわかって来ます。例の義侠心も、この土台の上で発揮されれば聡明(分別力)を伴ったものとして賞賛に値します。自己のペースを知らんということはなんとしても不聡明のことです。いつも他人に引っかき廻されていては、どこに彼の「生活」があるのでしょうか?
次はc項。これは彼の班生活から来る反抗です。すなわち班の他の者との折り合いが悪いとか、ウマが合わぬとかいうことが原因になる。
a 班長の固癖と彼の固癖の衝突。
この場合、班長は強制的に出ましょう。ところがそれが、その班の伝統的精神(フンイ気)に合致していれば正当化されるが、班長それ自身の独断(ワンマン)や、固癖が基準になった圧力であるならば、これは班長自身がまず班精神を犯している次第でお話にならない。
b 班員が多数決をもって、彼を圧迫するため起こる反抗。
抑々善いから多数決になるので、多数決だから常に善いのだという逆説は あり得ない(日本人には、この逆説の方しかわかっていないことが多い。)前者の場合その圧力は正当化されるが、逆説 の方であるならば、彼の反抗の方が正当である。
a・bともその判断の基準は班精神である。日本BSの現状ではそこまで班制度が育っていないように思います。そんなことでは「ボーイスカウトは行方(ゆくえ)不明」です。
最後のd項、これは隊長が「反抗」の原因を作る場合です。私は次の諸項を列挙して隊長の反省の資料といたしたい。
次のことが「反抗」の原因になる。
a 隊員にあることを説明する場合、その表現に研究の要なきや?
イ.自分だけにわかっていて、聞き手(ことに少年)に意向が汲みとれぬ。
ロ.あまりくどくどしくて反感をもたせる。
ハ.あまり命令的、強制的で反感をもたせる。
ニ.態度が気にくわぬ。
ホ.あまり表現が下手(へた)で、混雑させる。
ヘ.大人言葉では子供に通じない。
ト.少年心理に合わぬ表現。
b 旧軍人式の号令、命令口調(くちょう)が出やしないか?
c ガイダンスの不備
少年から引き出すことをしないで押しつけやしないか?
d 興味を呼び起こさすことを忘れ、興味を押し売りしてはいないか?
e 自律自発にもちこまないで他律的になっていないか?
f 討議せず隊長の一存で臨んでいないか?
g 試行錯誤をやらせないで短気に成功を急ぐことはないか?
h 成長ということを考えていないのではあるまいか?
i ユーモアに欠けていないのか?
j 「寝ている人を起こす」ように、隊長自身の出来ぬことをやらせていないか?
k みんなの前で叱っていないか?
l ほめることの方が叱るより効果あることを経験していないのではなかろうか?
m 自制自戒に訴えるため「手紙」による指導をしているか?
これは何月何日何時(就寝の頃)開封せよ――と記した手紙をそっと本人に渡す。手紙文には、隊長の愛の心のこもった訓諭が書いてある。それを寝てから読めば必ず反響がある。
n 「ちかい」「おきて」を他律的な攻め道具にしてはいないか?
o 「おきて」の本文とは注釈文も含んでいる。注釈文にしても、実はあれも本文なのだからよく読ませて自
戒させること。
私はイギリスの“スカウティング フォア ボーイズ”、アメリカの“ハンドブック フォア ボーイズ”、“ハンドブック フォア スカウトマスター”を見ても「強制」ということを発見しません。“エイズ ツー スカウトマスター”には、いかにして隊員をキャッチするか?――という所がある。
結局、隊長が隊員を充分にキャッチしていないのが根本の原因だと思う。充分キャッチしておれば、「強制」を発動する必要はないのではあるまいか。
なお、これを一つの資料として、円卓会でプロジェクトしていただき、私へもその結果をおしらせ願いたいと思います。この説に「反抗」されても怒りませんから。ただし私は決して「反抗」を美徳としたり、奨励してはいません。最後に一言!
(昭和27年3月20日 記)
ちーやん夜話集 索引
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