ちーやん夜話集 40.技能章について

技能章について

 スカウト教育の三大制度の中の技能章制度がまだ実現されなかったことは、我が国BSの一つの大きな空白であったのだが、いよいよ1926年度実現のメドがついたので、遠からず全国のスカウトたちはこの新しいプログラムに歓声あげて突入することであろう。そこで技能章教育の性格、その目的は何であるかということについて指導者はハッキリした理解をもたねばならなくなった。今まで講習会の講義で述べられたことは、実際に技能教育をやっての上から来る講義というよりも、書物などから、或いは教育論の上から来るいわば抽象的な概論的な講義であったことを、私自身の反省から告白できる。といって、他の人々の講義もそうだ――とけなすつもりは毛頭ない。これは日本BSの発達の段階として無理でないことを是認されねばならない。
 今度、いよいよ実施するにあたって、私はもっと具体的に掘り下げて、その本旨を把握されねばならぬ――と思う。私は約2カ月の余を技能章に没頭して来た。そして、その間色々の問題にぶっつかった。何れそれらの私のなしたプロジェクトはまとめてみたいと思うが、まだそこまで出来ていない。ここにその一部を書かせて貰う。
 「技能章の性格」――という意味で、最も古く研究されたのは、故中野忠八先生で「少年団研究」の第二巻第六号(大正14年6月号)に「徽章制度に就いての考察」というのが、私の注目をひく。その論文の中の主要な点を引用する。

4 スカウトの訓練はスカウト集会時だけを以て完全を期するのではない。即ちこの制度は集合時以外の少年の時間をスカウトの中に掴まえる処の作用をなすのである。

5 指導者は適当なる助言は必要であるが無暗に奨励すべきではない。スカウトの閑時を利用せしむるものたることを忘れてはならぬ。又直ちに職業教育と解してはならぬ。スカウト自身の自己発見たる一事を銘記せねばならぬ。併し、そのことに熟練の度を進めたるときは、必要に際し職業となし得る便宜あるは云うまでもないことである。

6 学校の成績が良くない少年が、特殊の技能に於いて天才的に秀でたることがある。学校の課目は人間の全能力に触れていないから、学校の課目に触れざる処に如何なる天才的能力が隠れているかも知れない。この隠れたる能力は、この制度によって啓発せられ、天分を発揮し、その個人の為にも人類の為にも幸福に寄与する事が少なくないのである。学校の成績が劣るがために自ら軽んじ、進取の志を挫かれる可憐な少年も、この制度によって勇気を与えられ、時としては自己の能力を知る事によって、不良なりし少年も学課にまで好影響を及ぼす事さえある。

 これに対し、職業指導の面に活用せよという論文が、米本卯吉氏、津戸徳治氏などによって同誌に出ているのは興味深い。
 私は今これらを詳しく述べる余裕がない。けれども新制中学の教科は学校教育令に明示されているように、職業指導であることを見るならば、人格完成という本筋の教育目的と、この職業指導との不可分性を無視することは出来ない。又、同じプロジェクトにせよ、これをBSとしてやるのと、4Hとしてやるのと、これまたネライが異なることを最近4Hの人々とのディスカッションで私は知った。
 何れ、時期を見て、私はまとまった研究を出したいと思い、只今資料を集めている。

(昭和26年5月30日 記)


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