ちーやん夜話集 67.道徳教育愚見

道徳教育愚見

 道徳教育論――という本が出たことを知り早速読む。著者は玉川学園長小原国芳氏。都下町田市玉川大学出版部発行、価180円送料不要。
 その中にボーイスカウトに関する記事がある。同書114頁から123頁にかけて。その部分は「玉川教育」から引用したと書いてあるが、その文は、二荒芳徳先生の作である。先生は、玉川の父兄の一人である関係かららしい。

 さて、私は、道徳教育というものは結局、実行による教育でなかったならば、単なる学科に終わってしまう。ボーイスカウトのように「実行することによって学ぶ」と、いう方式をとらないならば、習性とはならない。その点で、スカウト教育は、学校教育よりも前進していると思った。
 しかも、「一日一善」とか「日々の善行」ということを、本当に実行してさえいれば、特別な道徳教育はなくてよい。と、考えていた。
 もし、それでも道徳教育を施すのなら、その一つ手前にすることがある。それは、感覚訓練である。と、考えた。なぜかなら、道徳(モラル)は、センス(感覚)から出て来る。センスの教育をやらないで、だしぬけに、立派なモラルが生まれて来る筈はない。と考えた。
 この点でも、スカウト教育は、感覚訓練をまっさきにとりあげている。これは、学校教育では影がうすい。色々な学科、特に音楽とか図工や、体育とかで、その一端はなされている筈だけれども、情操教育というような美名にカバーされて、そのものズバリの感覚訓練は、実施されていないよう私は思う。(これはあたらないかもしれない――が)そういうわけで、感覚訓練(観察、推理)と技能訓練と日々の善行という実行さえやれば、目的は達し得る。と簡単に割り切っていた。

 ところが、以上は実に浅見であったことに気がついた。自分では、善意であることを行っても、相手にはそう映らないことがザラにある。また、善行の押し売りに受け取られる場合もある。

 およそ、人に悪感や不快や迷惑を与えることは、不道徳の一種である。自分の不精からヒゲを伸ばしているとか、不快な匂いを与えるとか、不潔だと思わせたり、無礼だとか、ナマイキだ、とかいう感じを人に与えるならば、これまた不道徳である。
 かように考えると、私のすることは、百パーセント不道徳ばかりしていることに気づく。靴もよく光らさないし、声もよくないし、もののいい方も、ぶっきらぼうで、なっていない。スマートネスということも、これ故に強調されていると思う。
 これでも人に、手数や迷惑をかけまいと思うて、努めているつもりで、心臓も強くないし、万事、エンリョしがちなのだけれども、気のつかんことが余りにも多すぎて人に対してすまんことだらけで落第である。

 ところが、以上のべた私の欠点は、ことごとく、12の「おきて」に出ているのにはびっくりした。

 昔、おきての義解みたいなものを書いたこともあって、一応わかっていたつもりだったのに、ひとつも、わかっていない。実行していないから学んでもいない。と、いえる。

 とうとう、おきての第12番目によって、遺憾なくしょい投げをくった。

                 ---スカウトは、つつしみ深い---

 もう道徳教育のことは、いわないことにする。いえなくなった!

(昭和33年2月17日 記)

(付記)
 小原国芳氏が、広島高等師範学校に在学中、北條時敬校長が英国から帰って、ボーイスカウトを日本に紹介された。
 1909年の9月である。故に、小原先生は、スカウトのことは、初期から知っていられる。当時、私は同校付属中学校の4年生で、同校長の考えによって生まれた、城東団の次長だった。城東団は、今も集まりをしている。
 北條校長は後に、東北大学総長、学習院長として日本一の教育家であった。その遺稿「郭堂片影」という本に、ボーイスカウトに関する講演のメモが沢山のっている。この本は今、もう入手困難、私は幸いにノートに写してはいるが、原本を探している。日連でもほしい。どこかにないであろうか?


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